2020年5月26日火曜日

煮凝りみたいな感じでいこうと思う

コロナウイルス。
ものすごいインパクトを伴いながら日常に溶け込もうとしている。

症状がない場合は自分自身は問題ないが
自分からどこか別の人に飛んで行ったときに
飛んで行った先の人がどうなるか?が読めないだけに
とても怖いと思う。

どういう風に共存していくことになるのか。
自分にできること
手洗い、うがい、消毒、マスク
をしっかりやりつつ日常を送る。
個人でできることってこれくらいだもんね。

今、ちょうどお昼に書いてる。
今朝はZOOMで雑談(ZATSUDAN)というコンテンツに参加。
主催者の人(岡田鉄平さん。珍しく私がずっとリサーチしてる人。岡田さんのメルマガなどの書き物は前段に、私にとっては理解しがたい言語が枕詞のようにくる。思わずスルーしたくなるんだけど、伝えている内容にとても共感している。)ともう一人の参加者、そして私。
30分程とりとめもなく話す。

そんな流れから今日感じてる自分のことを書いておこうかな、と。

今、湧いている言葉は
「煮凝り(にこごり)」

魚や肉を炊いたあとの煮汁を固めて作るアレだ。
鶏肉とかカレイとか甘辛く炊いたあと固まってる煮汁ね。
(綺麗にお料理として作るものもあり)

こんな感じでいいんじゃないって
なんかふと思ったんだよね。

煮凝り、私も食べるときと食べない時がある。
好きな人は好きだよね。
私は煮汁で勝手にできるものは
あつあつのご飯に乗せないと食べられないかなぁ。
穴子とか綺麗に寄せて作ったものは
そのまま食べるけど。

個人の好きずきってことだ。
もう色んなところで色んな人が言ってることなんだけどさ、
「そんなの好きずきだよ」って言ってても
腑にはなかなか落ちていないと思うんだよね。

口で言ってても「なんでも食べてみなよ!」って
人に言ってたりするしね。
(美味しいものは人と共有したいという場合もあるけど)

なんの話しかわからんくなっとるな。

人が書いたものって、
その人から出てくる「濃縮したもの」だ。
煮詰めて出てきたエキスが固まったもの。
いや、サラッと出してる人は当てはまらんかもしれんな。
私の場合はゴリゴリに煮出すイメージになる。
(煮詰め過ぎて表に出せず、ごみ箱行きになるものが多すぎる)
ちょっと気持ち悪い。

美味しいと思うかどうかは食べた人次第だ。

今日は改めてそんなことを思った日。

煮凝りみたいにコトコト煮込んだ本体は
主菜として世に美味しく提供できたらよい。
んで、詰まった煮汁は副産物だけども
本体から出てきたエキスが濃縮されているものだ。
それも美味しくお料理としていただけたらいいね。
そんな感じ。
美味しく出せるぐらいで表に出さんとね。

煮凝り。
食べるか食べないか
美味しいか美味しくないか
は、出されたものの前に座る人のものだ。

これ、なんだろな。
なんの話しかわからんかもしれんけど
ま、私の頭の中はいつもこんな感じで
物事が流れとる。

それもまたよし。


※これは石川の郷土料理で「えびす」。
お出汁を寒天で固めたもの。
 お祝い事で食べる。
 煮凝りなんて写真撮ることないから代わりに。
 これはお節料理で作った時の。








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