トヨタ NOAHのCM
ジャン・レノのドラえもんシリーズの
「ソーナルじょう篇」
のび太の「かっこよくなりたいなぁ~」
に答えてドラえもんのポケットから出てくるのが
「ソーナルじょう」
飲んだらかっこいいのび太くんが登場する(笑)
飲んで自分の思うようになったら、いいよねぇ。
そんなこと言ってたら
なにか起こるの待ってる人になっちゃう。
放っておくとそうなるからね~。(私)
どうしても楽な方に流れちゃうから。
漫然と待っていてもなんにも起こらない。
白馬に乗った王子様も来ないし、
(え?待ってたのか!?)
自分の実現したいことも起こらない。
(そりゃそうだ!)
自分を動かすための
「ソーナルじょう」を自分が見つければいい。
思うように動けないこともある。
日々、いろんなことが起こるから。
そんな自分もアリにして
「やる」をつくれるようになったらいい。
自分の中に「ソーナルじょう」をつくろう。
2016年1月19日火曜日
気になったニュース:勉強の意味
先週ぐらいだったか
大阪府が実施している「チャレンジテスト」について
情報番組がとりあげてた。
このチャレンジテストが何の目的でやってるかを
ざっくりかくと以下3点のような感じらしい。
・教育委員会や学校が府内生との学力を把握して教育施策に反映していく。
・生徒一人ひとりが、目標や意欲をもつために自分のレベルを知る。
・先生の主観じゃなくて公平なデータとして使う。
1年生、2年生の時から受験を意識した勉強をして
点数をとっていくってことになるんだろうなぁ。
まぁ、制度的なことは置いておくけど
この情報番組で中学生にチャレンジテストについて
どう思うかをインタビューしてたんです。
「これで人生が決まるから
しっかり勉強するように塾の先生に言われた。
だから頑張ります。」
って答えていて。
少なからず、ショックを受けたんですよね。私は。
なににショックを受けたのかって
やっぱり人生が決まるからっていう言葉。
内申点を上げることで自分の人生が決まるって
どういう意味で捉えているのだろうかと。
勉強ってすごく大事なことだと思うんですよ。
大人になって、自分で学びたいことを学ぶ
とも違って「強いて勉めていく」って感じですよね。
なかなか意図的に学ぶって感じにはなれないと思う。
私は、好きな教科しか勉強しなかったもんなぁ。
勉強する意味がわからんかったところもある(笑)
今、この年で思うのは
知らないことを知っていく。
自分の頭で物事を考えて行く。
疑問をもった時に、何をどう調べて解決していくのか。
より自分が生きやすいように
自分の扱い方や、人とのコミュニケーションの土台や前提をつくっていく。
知識を得たり、考えることを覚えていくって時期だと
そんな風に考えている。
高校受験のために内申書があって
その点数を公平につけるデータとして
このテストがあるのならば
先生の言葉は
行く高校で人生が決まるって捉えてしまうんじゃないかと
ニュースを聴きながら、そう思ったんですよね。
学校で人生が決まるんじゃない。
自分の頭と心と身体をつかって人生をつくっていくんだよって。
勉強は、自分のこれからの土台を整えるためのものだよって。
勉強の質によって、
見聞きすること、
出会う人、
出会うこと
が変わってくるのは間違いない
とは思っている。
学校の違いによって、自分がおかれる環境は大きく変化するから。
自分に合う選択をするために
選択の幅を広くするために
しっかり勉強したらいいと思う。
するもしないも本人が選択すればいいことだけど
どういう可能性があるのかは
大人が教えておく必要があると考えてる。
この塾の先生は、どういう意味で生徒たちにこの言葉をかけたんだろう。
最近、ニュースをみていて気になったできごとを
ふと書いてみた。
大阪府が実施している「チャレンジテスト」について
情報番組がとりあげてた。
このチャレンジテストが何の目的でやってるかを
ざっくりかくと以下3点のような感じらしい。
・教育委員会や学校が府内生との学力を把握して教育施策に反映していく。
・生徒一人ひとりが、目標や意欲をもつために自分のレベルを知る。
・先生の主観じゃなくて公平なデータとして使う。
1年生、2年生の時から受験を意識した勉強をして
点数をとっていくってことになるんだろうなぁ。
まぁ、制度的なことは置いておくけど
この情報番組で中学生にチャレンジテストについて
どう思うかをインタビューしてたんです。
「これで人生が決まるから
しっかり勉強するように塾の先生に言われた。
だから頑張ります。」
って答えていて。
少なからず、ショックを受けたんですよね。私は。
なににショックを受けたのかって
やっぱり人生が決まるからっていう言葉。
内申点を上げることで自分の人生が決まるって
どういう意味で捉えているのだろうかと。
勉強ってすごく大事なことだと思うんですよ。
大人になって、自分で学びたいことを学ぶ
とも違って「強いて勉めていく」って感じですよね。
なかなか意図的に学ぶって感じにはなれないと思う。
私は、好きな教科しか勉強しなかったもんなぁ。
勉強する意味がわからんかったところもある(笑)
今、この年で思うのは
知らないことを知っていく。
自分の頭で物事を考えて行く。
疑問をもった時に、何をどう調べて解決していくのか。
より自分が生きやすいように
自分の扱い方や、人とのコミュニケーションの土台や前提をつくっていく。
知識を得たり、考えることを覚えていくって時期だと
そんな風に考えている。
高校受験のために内申書があって
その点数を公平につけるデータとして
このテストがあるのならば
先生の言葉は
行く高校で人生が決まるって捉えてしまうんじゃないかと
ニュースを聴きながら、そう思ったんですよね。
学校で人生が決まるんじゃない。
自分の頭と心と身体をつかって人生をつくっていくんだよって。
勉強は、自分のこれからの土台を整えるためのものだよって。
勉強の質によって、
見聞きすること、
出会う人、
出会うこと
が変わってくるのは間違いない
とは思っている。
学校の違いによって、自分がおかれる環境は大きく変化するから。
自分に合う選択をするために
選択の幅を広くするために
しっかり勉強したらいいと思う。
するもしないも本人が選択すればいいことだけど
どういう可能性があるのかは
大人が教えておく必要があると考えてる。
この塾の先生は、どういう意味で生徒たちにこの言葉をかけたんだろう。
最近、ニュースをみていて気になったできごとを
ふと書いてみた。
2016年1月17日日曜日
変化を起こす・変化をつくる
変わりたいけど、変われない。
そう思っている間は、残念ながら変わらないんですよね。
私、割と行動的に見られたりする。
まぁ、石川県からフリーで仕事をするって
ポーンっと大阪に出てきたりしちゃうからね(笑)
それは、実現したいこと
自分がやりたいこと
自分の望んでいること
がハッキリわかっているから。
そんな時の行動力はスゴイ。
反対に
「あぁ、変わりたいのに変われないなぁ。」
って、うすらボンヤリ考えている時は
変われない。
ま、当たり前なんだけど。
変われないのは、変わろうとしていないから。
変わりたくないのか。
変わる必要が無いと思っているからか。
わりと自分に都合よく考えていたりする。
「私は悪くないから変わる必要ないんだよな。」
とか、ふかーい所で思っていたりする。
口で言ってることと
胎の中が違うってことね。
自分や、自分がおかれている状況を
変えたいと思うなら
自分が行動するしかないという。
何故変わりたいのか。
自分の腑に落としておかないとね。
まぁ、行動を起こすとなると
なんだか恐くなったりするんですよね。
今までの自分とは違う動きをするから。
それこそ生命の危機ぐらいの勢いで恐かったりする(笑)
なんで変わる必要があるのか。
自分の意図や目的を確認してみる。
確認してみて、変わろうと思うなら
やっぱり行動が必要になる。
大きな一歩じゃくて
小さな一歩から。
だって、ちゃんと変化をおこしていきたいから。
小さな積み重ねが自分を創り上げていく。
そのためには続けて行かなくちゃいけないしね。
恐ろしいぐらい毎日
「変化が必要です」
という状況が現れる。
もうわかった。
腑に落ちたから、さっさと動きます(笑)
そう思っている間は、残念ながら変わらないんですよね。
私、割と行動的に見られたりする。
まぁ、石川県からフリーで仕事をするって
ポーンっと大阪に出てきたりしちゃうからね(笑)
それは、実現したいこと
自分がやりたいこと
自分の望んでいること
がハッキリわかっているから。
そんな時の行動力はスゴイ。
反対に
「あぁ、変わりたいのに変われないなぁ。」
って、うすらボンヤリ考えている時は
変われない。
ま、当たり前なんだけど。
変われないのは、変わろうとしていないから。
変わりたくないのか。
変わる必要が無いと思っているからか。
わりと自分に都合よく考えていたりする。
「私は悪くないから変わる必要ないんだよな。」
とか、ふかーい所で思っていたりする。
口で言ってることと
胎の中が違うってことね。
自分や、自分がおかれている状況を
変えたいと思うなら
自分が行動するしかないという。
何故変わりたいのか。
自分の腑に落としておかないとね。
まぁ、行動を起こすとなると
なんだか恐くなったりするんですよね。
今までの自分とは違う動きをするから。
それこそ生命の危機ぐらいの勢いで恐かったりする(笑)
なんで変わる必要があるのか。
自分の意図や目的を確認してみる。
確認してみて、変わろうと思うなら
やっぱり行動が必要になる。
大きな一歩じゃくて
小さな一歩から。
だって、ちゃんと変化をおこしていきたいから。
小さな積み重ねが自分を創り上げていく。
そのためには続けて行かなくちゃいけないしね。
恐ろしいぐらい毎日
「変化が必要です」
という状況が現れる。
もうわかった。
腑に落ちたから、さっさと動きます(笑)
2015年11月5日木曜日
なにを成すか選択する
「差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、
月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。」
(訳文)
目の前のことばかりに気をとられて月日を過ごすうち
なにひとつ完成できず年をとってしまうものなのだ。
吉田兼好が鎌倉時代末期に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』
百八十八段の中の一節です。
一生の中で「ものごとを成し遂げるのに、何にどのように時間を使うのか?」
ということをつれづれとつづっている段です。
このたとえ話しがまた面白いんですよね~。
いつの時代も変わらない。
ざっくり訳すと。。。
ある父親が息子を法師(僧侶)にしようと
息子に言うんです。
「よく勉強して、仏教の因果応報の”真理”を理解して
それを基に説教などをして生計を経てていきなさい」と。
その息子は父から言われたとおり
説教のできる僧侶になるために
まず乗馬の練習をするんですね。
(なんでや!?)
その理由は、法事に招かれて迎えの馬をよこされたときに
うまく乗れなくて落馬でもしたら情けないな~っていうこと。
(かなりウケます)
そして次は歌を習うんです。
(これまたなんでや!?)
何故かというと、仏事が終わったあとにお酒の席に招かれた時に
無芸では無粋(ぶすい)だからという理由。
この法師は、乗馬も歌もわりに上手になるんですけど
結局は説教をしっかりと習う時間をとれずに歳をとってしまった。
というお話しです。
本末転倒というか
「自分がなにを成すべきか」の選択が適切ではなかったってことですよね。
本人が本当に法師になりたかったかどうかは置いておいても
そもそもは「説教で生計をたてることのできる法師になる」が目的であったところを
その他の様々な願望に呑みこまれて
本来の目的をなすことができなかったってことです。
人生の時間は有限ですもんね。
もう、読んでて「イタタタタタタタタ」ってなります。
人は人生にあれもこれもと大きな計画を立てる。
先は長いからとのんびりして
本来、自分がやりたいこと、
成し遂げたいとおもっていることを脇においてしまって
目前のことばかりに気をとられて月日を過ごすうちに
なにひとつ完成させることができずに
歳をとってしまうものなんだよ。
ということを吉田兼好は言っているんですよね。
一事を成し遂げようとすれば、
あらゆることと引き換えにする決意がなければ、
一つの大事(だいじ)を成し遂げることはできない。
ということを例え話を交えて語っています。
この原文を「あらゆることと犠牲にしてやるべきことをやれ!」
という意味で読み取ると悲壮な感じするかもしれませんね。
本質は、そういうことを言いたいんじゃないと思います。
自分の本質にある「望み」に気づく・知って
そのことを実現するために「なにをするのか」選択し、
力を集中させて動きなさい。
ってことを言いたいんじゃないかと私は捉えています。
いつの時代も人の欲望はつきません
本来の自分が望んでいる事。
しっかり自分を観察して探究していくとそんなに多くないんですよ。
根は一つのことだったりします。
自分を使って何をしていくのか?
そして事業をしている人の場合は
自分の事業が何のためにこの世の中にあるのか?
しっかりと目的にあった選択をし
行動をとっていくということが経営者の仕事。
行動を起こした先にあることは
行動を起こさないとわからない。
うまくいかないこともあるかもしれないけれど
なぜ、自分がそのことをするのか?
ということを自分がわかっていれば
そのことに向かって軌道修正することも
適切な行動を起こすこともできる。
なぜ、そのことをするのか。
行動の先にある目的を自分が知っていること
わかっていることで結果が変わってくる。
自分が励む一事のことってなんだろう。
私が、私を使って成し遂げたいことってなんだろう。
常にある問いであったりします。
【追記】
写真の本は
集英社文庫から出ている”わたしの古典”シリーズ。
永井路子さんの現代語訳
「方丈記・徒然草」です。
この本には原文が載っていません。
古典作品をエッセイとして違和感なく読むのに良い作品です。
このブログで書いてある訳は
私の意訳になっているので正確なものではありません。
助詞の使い方一つで全然違う感じになっちゃうんです。
日本語は深い。
月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。」
(訳文)
目の前のことばかりに気をとられて月日を過ごすうち
なにひとつ完成できず年をとってしまうものなのだ。
吉田兼好が鎌倉時代末期に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』
百八十八段の中の一節です。
一生の中で「ものごとを成し遂げるのに、何にどのように時間を使うのか?」
ということをつれづれとつづっている段です。
このたとえ話しがまた面白いんですよね~。
いつの時代も変わらない。
ざっくり訳すと。。。
ある父親が息子を法師(僧侶)にしようと
息子に言うんです。
「よく勉強して、仏教の因果応報の”真理”を理解して
それを基に説教などをして生計を経てていきなさい」と。
その息子は父から言われたとおり
説教のできる僧侶になるために
まず乗馬の練習をするんですね。
(なんでや!?)
その理由は、法事に招かれて迎えの馬をよこされたときに
うまく乗れなくて落馬でもしたら情けないな~っていうこと。
(かなりウケます)
そして次は歌を習うんです。
(これまたなんでや!?)
何故かというと、仏事が終わったあとにお酒の席に招かれた時に
無芸では無粋(ぶすい)だからという理由。
この法師は、乗馬も歌もわりに上手になるんですけど
結局は説教をしっかりと習う時間をとれずに歳をとってしまった。
というお話しです。
本末転倒というか
「自分がなにを成すべきか」の選択が適切ではなかったってことですよね。
本人が本当に法師になりたかったかどうかは置いておいても
そもそもは「説教で生計をたてることのできる法師になる」が目的であったところを
その他の様々な願望に呑みこまれて
本来の目的をなすことができなかったってことです。
人生の時間は有限ですもんね。
もう、読んでて「イタタタタタタタタ」ってなります。
人は人生にあれもこれもと大きな計画を立てる。
先は長いからとのんびりして
本来、自分がやりたいこと、
成し遂げたいとおもっていることを脇においてしまって
目前のことばかりに気をとられて月日を過ごすうちに
なにひとつ完成させることができずに
歳をとってしまうものなんだよ。
ということを吉田兼好は言っているんですよね。
一事を成し遂げようとすれば、
あらゆることと引き換えにする決意がなければ、
一つの大事(だいじ)を成し遂げることはできない。
ということを例え話を交えて語っています。
この原文を「あらゆることと犠牲にしてやるべきことをやれ!」
という意味で読み取ると悲壮な感じするかもしれませんね。
本質は、そういうことを言いたいんじゃないと思います。
自分の本質にある「望み」に気づく・知って
そのことを実現するために「なにをするのか」選択し、
力を集中させて動きなさい。
ってことを言いたいんじゃないかと私は捉えています。
いつの時代も人の欲望はつきません
本来の自分が望んでいる事。
しっかり自分を観察して探究していくとそんなに多くないんですよ。
根は一つのことだったりします。
自分を使って何をしていくのか?
そして事業をしている人の場合は
自分の事業が何のためにこの世の中にあるのか?
しっかりと目的にあった選択をし
行動をとっていくということが経営者の仕事。
行動を起こした先にあることは
行動を起こさないとわからない。
うまくいかないこともあるかもしれないけれど
なぜ、自分がそのことをするのか?
ということを自分がわかっていれば
そのことに向かって軌道修正することも
適切な行動を起こすこともできる。
なぜ、そのことをするのか。
行動の先にある目的を自分が知っていること
わかっていることで結果が変わってくる。
自分が励む一事のことってなんだろう。
私が、私を使って成し遂げたいことってなんだろう。
常にある問いであったりします。
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自分と仕事をマネジメントする。
自分の人生である「時間」をどう使うか?
時間管理に必要な考えを知って、まずは小さな一歩から実行できるようになるセミナーです。
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手帳を活かした自己マネジメント講座
自分と仕事をマネジメントする。
自分の人生である「時間」をどう使うか?
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【追記】
写真の本は
集英社文庫から出ている”わたしの古典”シリーズ。
永井路子さんの現代語訳
「方丈記・徒然草」です。
この本には原文が載っていません。
古典作品をエッセイとして違和感なく読むのに良い作品です。
このブログで書いてある訳は
私の意訳になっているので正確なものではありません。
助詞の使い方一つで全然違う感じになっちゃうんです。
日本語は深い。
2015年10月23日金曜日
人生を俯瞰でみる
今年もあと2カ月と少しとなりました。
翌年の動きを想定しながら活動する時期に入りましたね。
人生を俯瞰でみる。
なんか大層なタイトルになってしまった。
色んな切り口があるけど
自分の時間について書いてみよう。
自分のものさしを持ってみたとき
今、あなたはどの地点に立っていますか?
私が自分の時間を「数値」として意識したのは37歳の時でした。
自分がどのぐらい生きるのかはわからない。
現在"何歳"かは、わかっているけど
「私の人生」といった漠然とした言葉の中では
全体の中で現在地点がどのぐらいのものかも漠然としていて
私が生きている時間を“量”のような数値として意識するのが難しい。
「80歳まで生きるとしたら、今の時点で50%生きたのか~」
という把握の仕方は数字的にピンとこないんですよね、私の場合。
私は、「ほぼ日手帳」のユーザーなんですが、
そのほぼ日手帳には「日々の言葉」が1日1ページ欄に書かれています。
6年前の手帳を購入したその日、
ほぼ日手帳をパラパラとめくっていたら
次の言葉に出会いました。
“中学校を卒業するとき、先生が言った言葉です。
「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」
私達は15歳÷3 = 5時。午前5時の夜明け前。
いま人生の夜明け前にいるのだと教えてくださいました。
貴方の人生は今何時ですか?“
(ほぼ日手帳より引用)
これを読んですぐに自分の歳で計算してみた。
37歳 ÷ 3 = 12.333・・・
正午を過ぎた頃だ!
頭の中でアナログ時計が描かれ
その時間を客観的に眺めた瞬間です。
(結構衝撃的だった)
いま、折り返し地点にいる!!!
私は、私の人生を生きているんだろうか。
自分の命を使ってやることってなんだろう。
自分の時間を「量」として自覚したタイミングです。
この時は、まだサラリーマンとして働いていたんですけど
独立して個人で仕事をしていくことを明確に意識したのは
この頃からなんですよね。
自分の生きている時間を意識することって
親しい人との別れがあったり、
自分自身が病気をした時以外に
あまり無いかもしれません。
人間、いつ死ぬかわからない。
ってことは、自分も知っているけれど
日々そのことばかりを思って生きているってことはない。
なんとなく幸せに生きるということが幸せにつながる人もいると思います。
私は、私のヒトという生物としての命を全うする
ってどういうことなんだろうと
哲学的な方向に思考が向かい
その探究は現在進行中です(笑)
美味しく食事ができること。
安心できる居場所があること。
喜怒哀楽いろいろあるけど、
人との関わりの中で泣いたり笑ったりすること。
大好きな人と一緒にいること。
好きなことに没頭すること。
自分が行うことによって誰かの役に立てること。
etc
自分の生をどう生きるのか。
他人の尺度や基準ではなく、自分の意思で日々を生きる。
日常にある小さな決断の積み重ねが未来を創っています。
言い尽くされてる言葉だけど
人は一人でこの世に存在しているわけではなく
人と人とのつながりの中で生きています。
自分の一つ一つの小さな決断が 自分の人生だけではなく、
誰かの人生にも影響をあたえている。
そんなことを意識のどこかに持ちながら
今、私が何をするかを考えています。
私の場合は、もともと思考に偏りやすいから
この考えを基に行動をすることを
ものすごーく意識しないといけないけど(汗)
貴方の人生は今何時ですか?
そして、あなたは自分の時間をどう生きていますか?
<<追伸>>
現在の私の時計は「14時ちょうど」です。
14時、勤務終了時刻を意識しつつ仕事を進める時間帯ですね。
翌年の動きを想定しながら活動する時期に入りましたね。
人生を俯瞰でみる。
なんか大層なタイトルになってしまった。
色んな切り口があるけど
自分の時間について書いてみよう。
自分のものさしを持ってみたとき
今、あなたはどの地点に立っていますか?
私が自分の時間を「数値」として意識したのは37歳の時でした。
自分がどのぐらい生きるのかはわからない。
現在"何歳"かは、わかっているけど
「私の人生」といった漠然とした言葉の中では
全体の中で現在地点がどのぐらいのものかも漠然としていて
私が生きている時間を“量”のような数値として意識するのが難しい。
「80歳まで生きるとしたら、今の時点で50%生きたのか~」
という把握の仕方は数字的にピンとこないんですよね、私の場合。
私は、「ほぼ日手帳」のユーザーなんですが、
そのほぼ日手帳には「日々の言葉」が1日1ページ欄に書かれています。
6年前の手帳を購入したその日、
ほぼ日手帳をパラパラとめくっていたら
次の言葉に出会いました。
“中学校を卒業するとき、先生が言った言葉です。
「自分の歳を3で割ると、それが人生の時間だ」
私達は15歳÷3 = 5時。午前5時の夜明け前。
いま人生の夜明け前にいるのだと教えてくださいました。
貴方の人生は今何時ですか?“
(ほぼ日手帳より引用)
これを読んですぐに自分の歳で計算してみた。
37歳 ÷ 3 = 12.333・・・
正午を過ぎた頃だ!
頭の中でアナログ時計が描かれ
その時間を客観的に眺めた瞬間です。
(結構衝撃的だった)
いま、折り返し地点にいる!!!
私は、私の人生を生きているんだろうか。
自分の命を使ってやることってなんだろう。
自分の時間を「量」として自覚したタイミングです。
この時は、まだサラリーマンとして働いていたんですけど
独立して個人で仕事をしていくことを明確に意識したのは
この頃からなんですよね。
自分の生きている時間を意識することって
親しい人との別れがあったり、
自分自身が病気をした時以外に
あまり無いかもしれません。
人間、いつ死ぬかわからない。
ってことは、自分も知っているけれど
日々そのことばかりを思って生きているってことはない。
なんとなく幸せに生きるということが幸せにつながる人もいると思います。
私は、私のヒトという生物としての命を全うする
ってどういうことなんだろうと
哲学的な方向に思考が向かい
その探究は現在進行中です(笑)
美味しく食事ができること。
安心できる居場所があること。
喜怒哀楽いろいろあるけど、
人との関わりの中で泣いたり笑ったりすること。
大好きな人と一緒にいること。
好きなことに没頭すること。
自分が行うことによって誰かの役に立てること。
etc
自分の生をどう生きるのか。
他人の尺度や基準ではなく、自分の意思で日々を生きる。
日常にある小さな決断の積み重ねが未来を創っています。
言い尽くされてる言葉だけど
人は一人でこの世に存在しているわけではなく
人と人とのつながりの中で生きています。
自分の一つ一つの小さな決断が 自分の人生だけではなく、
誰かの人生にも影響をあたえている。
そんなことを意識のどこかに持ちながら
今、私が何をするかを考えています。
私の場合は、もともと思考に偏りやすいから
この考えを基に行動をすることを
ものすごーく意識しないといけないけど(汗)
貴方の人生は今何時ですか?
そして、あなたは自分の時間をどう生きていますか?
<<追伸>>
現在の私の時計は「14時ちょうど」です。
14時、勤務終了時刻を意識しつつ仕事を進める時間帯ですね。
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