自転車に乗って秋の風を身体に感じながら頭に浮かんだことを
書き留めておこう。
自分が親になって
子どもを自転車で送り迎えしている今を
5年前の私はまったく想像していなかった。
子どもが自我というものを押し出せるようになって1年ほどか。
2歳半ぐらいから朝の送り出しが大変になった。
自分で食べる、着替える、靴を履く、ができるようになってきてから。
自分のペースじゃないと動かない。
そりゃそうだよね。
人のペースで動くのは大人でもしんどいし、命令されれば腹も立つよな。
わかる、わかるんだけど朝は急いでくれ!
保育園は9時15分までに登園だ。
お着換え終わって、朝のご挨拶に間に合わん!
って言ったって、それがどうしただよね。
それは大人の都合だ。
と、母は理解しつつも、
自分の遅刻も絡んでくるのでヒートアップしてくる。
「急げ―!!!」「早くってば!!!」「急がんかい!!!」
毎日毎日の「急げーーー!!!」が今朝はなく。
朝食もお着換えも服薬もスムーズに
そして自分で玄関に行きお靴を履いて私の出発を待っている。
なんて素敵な一日の始まりでしょう。
二人で手をつなぎマンションの階段を下りながら
「●ちゃん、自分でお靴履いて玄関で待ってたよ」とニコニコ話す娘。
「おかあさん、●ちゃんがお靴履いて待っててくれたらほんとに助かるわー!」とニコニコ話す私。
お互いウフフ アハハと笑いながら登園。
珍しく穏やかな朝だったせいか
爽やかな風の中で自転車を漕ぎながら
信じられないくらいの幸福感を味わった。
あ、私、子どもを自転車に乗せて保育園の送り迎えしてるんだ。
こんなことある?
いまだに信じられない。
パラレルワールドのように
仕事ばっかりしている満たされていそうで満たされていない私の姿も同時に目に浮かぶ。
私が決めて行動を起こした結果が一つここにある。
2014年2月に個人で仕事をするために石川県から大阪へ拠点を移した。
この時点で41歳。
現在2019年9月。子どもは3歳になった。
子どもを産むことを意図して大阪には来ていないが、自分の事業よりなによりも大きな私の望みを叶えることになった。
卵管の詰まりがあって、子どもを産むことを考えているなら治療が必要と医師からは言われていた。
それよりもなによりも子どもを持つためには、相手が必要で。
年齢的にもう子どもを持つことはあきらめていた。
すごい流れだ。
たぶん、大阪に出てきていなければ
彼に出会うこともなく
子どもを産むこともなかっただろうと思う。
自分の事業は中断したけど、何にも代えがたい3年間を過ごした。
強く強く願った、大きな大きな私の望みは実現している。
さあ、これからの私はどうする。
在り方が私の人生を動かす。
自分がどういう人でありたいか。
この3年間で見つめてきた自分で
しっかりと行動するのだ。
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