30代の頃、私が言われて嬉しい言葉のトップだった。
そつがない人でいる。
というのは、ものすごく疲れるのだ。
その頃の私は毎日毎日フルスロットルで仕事をし、夜と休日はスイッチが切れて廃人のようになってた。
だから音楽聴くのも、映画を観ることも、本を読むこともできなくなってた。
(大好きな世界なのに!)
家族や友人から電話が来るのも対応するのが苦痛、難しいという暗黒時代だ。
そつがない。
完璧であろうとする自分。
何に対して完璧であるか?
それは他人から見える自分の姿。
「他人からみて正解の行動ができているか」なんだよね。
他人の正
だから
自分ではないわけで。
そりゃ、疲れるさ。
でも、そんなことは気づけないんだよね。
自分を生きていないってことに気づけない。
いつもその視点(他者からみた自分)でいるから、それが自分の考えである。と勘違いして生きてる。
しかもその「他者からみた自分」ってのも自分の妄想だ。
他者の視点なんて、自分の想像でしかない。
だから会話とかコミュニケーションが大事で。相手がどう思うか?なんて当事者である相手に確認しないとわかんないじゃんね。
そんな頃があったなぁ。とふと思い出して。
できない自分を見せたって世界は終わらないし、それをみてサポートしてくれる人だっている。
のんちゃんのそのポンコツなところが愛されポイントやん、って言われると「エヘヘ(照れ
)」と頭を掻きながら嬉しくなったりする。
自分が出来ていることは、自分では見えにくい。
だからね、そのまま自分がやれることを自然に無理なくやっていくのがいいんじゃないかな。
そう思う。